独島問題10の嘘

1 独島が存在するという嘘

 独島は、1900年まで于山島と呼んでいたらしいが、于山島がどこに在ったのか判然としません。
 独島は、1906年まで石島と呼ばれていたらしいが、石島がどこに在ったのか判然としません。
 1906年に始めて、独島という島が認識されるが、この時点で独島がどこに在ったのか判然としません。
 結局、韓国が現在の位置で独島の領有認識を持つのは、1948年の独立の時点までしか遡ることはできません。
2 鬱陵島の属島であるという嘘

 そこで、韓国領有は「鬱陵島の属島である」という理念によってのみ成立する事にならざるを得ません。ところが、鬱陵島と独島は92kmも離れており、とても「属島」と言える様なものではありません。
 しかし、韓国領有派は、この領有権の根拠にならない理念によって、SF条約を解し、勅令41号を解し、元禄竹島一件を解し、固有領土説を維持しています。

3 SF条約で領有したという嘘

 サンフランシスコ講和条約において、日韓ロビー活動の結果、日本が放棄する領土に独島は含まれませんでした。ここに、独島は明らかに日本の領土として世界に認められました。
 然るに韓国は、SF条約に鬱陵島の文言があるからこれに独島も含まれるとか、占領政策によって日本の行政権限が独島から排斥されていたとか、その根拠が判然としない主張を始めました。
 結局その根拠は、カイロ宣言の「暴力及貪欲に依り日本国の略取した」島に相当するか否かという論点に集約され、「勅令41号で領有した」か否かに移って行きます。
4 勅令41号で領有したという嘘

 日本は、1905年、「無主地先占」により竹島(独島)を島根県に編入しました。
 一方韓国は、1900年勅令41号で独島に「石島」と名付けて領有認識を示しているから、無主地ではなかったと主張します。
 しかし、大韓帝国は、石島に対して行政行為を全く行わなかったので、石島がどこにあったか判然としません。又、1906年に島根県編入を知った大韓帝国は、1910年の韓国併合までの間に、日本に抗議をしませんでした。
 これでは、大韓帝国が独島に領有認識を有していたと判断することはできません。

5 太政官が放棄したという嘘

 1877年に明治政府の太政官は「竹島(鬱陵島)外一島は版図外と認める」と指令しました。韓国は、この「外一島」が松島(独島)に該当する」から、明治政府は松島(独島)を放棄したのだと主張します。
 しかし、同時期の明治政府は、「竹島渡海之願」を却下し、「松島開拓之議」を保留しました。「松島云々」は、1880年に鬱陵島を松島と呼んでいると判明するまで保留し、その後棄却しました。このことから、「外一島」が松島(独島)に該当しないことは明らかです。
 故に、元禄期に徳川幕府が独島を放棄した事実を、明治政府が追認したものではありません。
6 徳川幕府が放棄したという嘘

 元禄期、日本は竹島(鬱陵島)に渡海し漁猟する政策をとり、朝鮮は空地政策を執っていました。両国民が住まない孤島は、両国の漁民が竹島(鬱陵島)で遭遇するまで同一の島であるとの認識を持ちませんでした。そして、1692年に両国の漁民は遭遇したことにより、領土問題に発展しました。
 しかしこれは、竹島(鬱陵島)が何れの領土であるかが争われたものであり、独島は争点になっていません。
 朝鮮王朝は、竹島(鬱陵島)以東を朝鮮領として認識したことはありません。

7 514年から朝鮮領という嘘

 総ての主張に行き詰まった韓国領有派は、その証拠能力に疑問のある朝鮮王朝実録を持ち出してきて、「514年から于山島と呼び朝鮮領であった」と主張します。
 しかし17世紀までの朝鮮は、領有を主張する于山島(独島)を鬱陵島の西側で認識しており、于山島=独島説の根拠は希薄です。
 又、鬱陵島から于山島(独島)が見えると実録に記されており、実際に独島が見えるのだから、朝鮮は領有意識を持っていた。と言いますが、どうやら独島展望台から実際に見えるのは年に数日の様です。
 又、日本が松島と呼ぶ島が于山島である。と言いますが、松島の位置も于山島の位置も示していません。
 大韓帝国初代皇帝になった高宗は「松竹島と于山島が鬱陵島近辺にあるが、相互の遠近や距離がどうであるかよくわからない」との認識を示しています。これは、于山島が独島でないことの決定的な認識と言えます。
8 安龍福を英雄とする嘘

 総ての主張に自己撞着を感じている韓国は、安龍福を「徳川幕府に独島の朝鮮領有を認めさせた」英雄とすることで国内の機運を盛り上げようとします。
 しかし、係る盛り上げが無理筋であることは、元禄期の外交文書が明らかにします。そこで朝鮮は、「(安龍福の行為は)対馬只一路という盟約を破ったのではなく、単に難破して漂流したに過ぎない」と釈明しています。又、肅宗実録でも、安龍福を「愚民の行為」と切り捨てています。

  
竹島一件と安龍福

9 その他の嘘

 次の主張は、領有問題とどの様な関係が在るのか分りません。
 日本で作成された多くの地図と文書は、その作成者が独島を韓国領と認識していたことを示している。
 
10 侵略の始まりは独島という嘘

 未だに韓国では、「日帝による侵略」と言えば総ての行為・論理が正当化されます。一方、日本では「戦争を知らない国民」が大多数を占めるようになっています。係る状況下で、自虐史観を押し付けると日本の右傾化を勧める効果しか生まないでしょう。
 又、右傾化しないまでも、次の主張はシラケます。
 1 日露戦争の日本海海戦において独島の必要性を説くことにより、島根県竹島編入の必要性を結論つける主張があります。しかし、竹島編入をしなくても、独島に軍事施設を設置することが可能な条約がありましたから、この説には説得力がありません。
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