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【take-8591 コメント】 上の図は、「竹島渡海一件記」に掲載されている「竹島方角図」です。両者の文章量は明らかに違います。多分、別の頁と併せれば同一文章になると思われます。これは、書写している間に発生したものでしょう。すると、八右衛門が最初に描いた地図には彩色が施されていなかった可能性が残ります。 |
【take-8591 コメント】 下の画像は、UPされていた画像の原寸大のものです。 これを見ると明らかなように、赤く色づけされた場所は、朝鮮・竹島・松島・釜山だけでなく、江崎・萩・下関・対馬などが色づけされています。 これは、八右衛門が竹島の位置を説明し、自分の活動を説明するのに必要な地名を赤く色づけしたと解するのが、普通の解釈です。この地図が、八衛門の時代又は彩色した時代の領有意識を表しているとするのは我田引水が過ぎるといえます。 尚、左図の彩色は、Dokdo氏が施したもので、浜田市が提供した原本には彩色されていないと、杉原通信から思います。 |
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【take-8591 コメント】 Web竹島問題研究所は、2007年3月に最終報告書出しました。そこには杉原氏の論文が掲載されていますが、八右衛門の方角図については触れていません。これは、普通に考えて、その彩色によって「ツッコミ」が入るとは想像できないからです。 2007年6月21日に、ゲーリー氏はそのプログで会津屋八右衛門に触れますが、当然その彩色に触れていません。しかし、ここにDokdo氏のコメントが載ります。私の知る限り、これが最初の「ツッコミ」です。 Web竹島問題研究所は、Dokdo氏の見解を知らないまま、杉原通信を連載しています。そして、今、韓国KBSが地図の彩色を根拠に独島領有説を放送する模様です。 |