八右衛門の地図を比較する

KBSの八右衛門図
  ハチエモンの判決文にある地図。
  それはハチエモンが鬱陵島に渡海していた当時に、自身で作成した地図である。韓半島と鬱陵島,独島は赤い色で、隠岐島と日本列島は白色に仕分けされている。すなわち、鬱陵島と独島は同じ色で朝鮮領だった。これは当時の日本人たちの領土意識を見せてくれる重要な資料だ。この地図では、色が確実に仕分けされている。
  当時の独島は、日本人達が渡海すれば死刑になることもある禁断の地だったのだ。


  韓国KBSのHPから (2009-02-14の放送を予告)  機械訳
ゲーリー氏の八右衛門図
  Dokdo-or-Takeshima? から   (2007年6月21日更新)   日本語版

【take-8591 コメント】
  上の図は、「竹島渡海一件記」に掲載されている「竹島方角図」です。両者の文章量は明らかに違います。多分、別の頁と併せれば同一文章になると思われます。これは、書写している間に発生したものでしょう。すると、八右衛門が最初に描いた地図には彩色が施されていなかった可能性が残ります。

Dokdo氏の八右衛門図
  会津屋ハチエモンの汚れた証言と共に、彼が作成した地図がその供述調書に添付されたことは重要です。
  この色分けされた地図は、正確に、明治時代より前に日本のまわりで不法に航海した彼ら領土認識を示します。そして、我々は見ることができます。「竹島-Ulleungdo」「松島-doktoa」「朝鮮-Chosun」が赤く色づけされていることを。
  海の旅人であり国際的なトレーダーであった会津屋ハチエモンは、この地図を作成しました。そして、彼はどの地面が韓国領であり、日本領であるかを、十分によくわかっていました。彼は、竹島(Uleungdo)とマツシマ(独島)が両方共に韓国の領域であると思っていたのです。


  DOKDO氏のHPから

【take-8591 コメント】
  下の画像は、UPされていた画像の原寸大のものです。
  これを見ると明らかなように、赤く色づけされた場所は、朝鮮・竹島・松島・釜山だけでなく、江崎・萩・下関・対馬などが色づけされています。
  これは、八右衛門が竹島の位置を説明し、自分の活動を説明するのに必要な地名を赤く色づけしたと解するのが、普通の解釈です。この地図が、八衛門の時代又は彩色した時代の領有意識を表しているとするのは我田引水が過ぎるといえます。
  尚、左図の彩色は、Dokdo氏が施したもので、浜田市が提供した原本には彩色されていないと、杉原通信から思います。


杉原隆氏の八右衛門図
  杉原通信第6回から   (2008年4月3日更新)
  第6回 渡海禁止後の竹島(鬱陵島)

渡海して逮捕された八右衛門が尋問中に書いた方角図

〔右図:朝鮮竹嶋渡航始末記 島根県浜田市立図書館所蔵〕
〔左図:右図を元に森須和男氏が作製した方角図 『石見学ブックレット3 八右衛門とその時代』浜田市教育委員会 2002年〕



  杉原通信第12回から   (2008年11月11日更新)
  第12回 天保竹島一件と八右衛門

方角図 (「竹嶋渡海一件記 全」所収) 
(出典:『八右衛門とその時代』森須和男 ※原本は東京大学総合図書館所蔵)
【take-8591 コメント】
  Web竹島問題研究所は、2007年3月に最終報告書出しました。そこには杉原氏の論文が掲載されていますが、八右衛門の方角図については触れていません。これは、普通に考えて、その彩色によって「ツッコミ」が入るとは想像できないからです。
  2007年6月21日に、ゲーリー氏はそのプログで会津屋八右衛門に触れますが、当然その彩色に触れていません。しかし、ここにDokdo氏のコメントが載ります。私の知る限り、これが最初の「ツッコミ」です。
  Web竹島問題研究所は、Dokdo氏の見解を知らないまま、杉原通信を連載しています。そして、今、韓国KBSが地図の彩色を根拠に独島領有説を放送する模様です。



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