マンキオ・エクレオ事件
 先に提示した原則を適用する代表的な判例として、マンキオ・エクレオ事件について紹介しましょう。

ここに国際司法裁判所による要旨があります。
http://www.icj-cij.org/icjwww/idecisions/isummaries/ifuksummary531117.htm

 以下、『判例国際法』(東信堂)より引用します。先に紹介した原則がほぼ適用されていることが判ります。

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【事実】
 マンキエおよびエクレオは、英国領チャンネル諸島の1つジャージー島とフランス本土の間にある小島群で、19世紀の末以来、英国とフランスとの間でその帰属が争われていた。両国は1950年12月の特別協定においてこの問題を裁判で解決することに合意し、1951年12月5日、国際司法裁判所に訴えを提起した。
 請求の内容は、マンキエ・エクレオの島嶼と岩礁が領有の対象となりうる限りにおいて、それらに対する主権は両国のいずれに帰属するか、ということである。両国はともに、古来のないし原初的権原または実効的占有による権原に基づいて、領有権の存在を主張したが、裁判所は、双方から提出された証拠の相対的価値の評価を行った結果、英国の実効的占有による権原の主張を認めて、マンキエ・エクレオに対する主権が英国に帰属する旨の判決を下した(全員一致)。

【判決要旨】

 1 両当事国はいずれも、エクレオ・マンキエに対する古来のないし原初的権原を有し、その権原は常に維持されており失われたことはなかった、と主張した。したがって、本件は、無主地の主権取得に関する紛争の特徴を示すものではない。英国は1066年のノルマンディー公ウィリアムによるイングランド征服から、他方フランスは1204年のフランス王によるノルマンディー征服から、自国の権原を引き出す。しかし、両国が同様に援用する中世の諸条約は、いずれの側の主張を立証するにも十分でない。英国は、古文書に基づき、問題の島群を含めチャンネル諸島が大陸ノルマンディーと区別される一体とみなされていたと主張し、この見解を支持する強い推定は成り立つが、マンキエ・エクレオに対する主権の問題は、これらの島群の占有に直接関連する証拠によって決定されるべきものである。フランスは、英国王はフランス王の家臣たるノルマンディー公の資格でフランス王の封地を保有していたのであり、1202年のフランス裁判所の判決によって、英国王の保有するすべての封地が没収されたと主張する。しかし、英国は、ノルマンディーに関するフランス王の封建的権原は名目的なものに過ぎないと主張し、上の判決の存在も争っている。裁判所は、この歴史的論争には立ち入る必要を認めない。たとえフランス王がチャンネル諸島に関Lて封建的権原を有していたとしても、その権原は、1204年以降の諸事件の結果失効してしまったに違いなく、後代の法に従って他の有効な権原により代替されていない限り、今日いかなる法的効果も生じないからである。決定的に重要なのは、中世の諸事件に基づく間接的推定でなく、マンキエ・エクレオの島群の占有に直接関係する証拠である。

 2 そのような証拠許容のための決定的期日(critical date)について、英国は紛争が具体化した1950年の特別協定の締結日を、他方フランスは1839年の英仏漁業条約の締結日を主張する。裁判所によれば、英仏漁業条約が定める共同漁業水域は同水域内の島群の主権の帰属に関係はなく、また1839年当時、両国の間にカキ漁業に関して意見の相違はあったが、問題の島群の主権に関する紛争はまだ発生していなかった。それが発生したのは、フランスが初めて主権を主張した1886年(エクレオ)と1888年(マンキエ)である。しかし、本件の特殊事情から、その後の行為も、関係当事国の法的地位を改善する目的でなされたものでない限り、裁判所によって考慮されるべきである。

 3 まず、エクレオに対する両当事国の主張を検討すると、エクレオは13世紀の初めイギリス王保有の封土であるチャンネル諸島の構成部分として扱われ、14世紀初めには同王が裁判権、課税権を行使Lた記録もある。19世紀初めから、カキ漁業の重要性が増すにつれて、エクレオとジャージーとの関係は再び緊密になった。それ以来、ジャージー当局は同島に関して様々な措置をとっており、それらの事実のうちで、裁判所は、とくに司法権、地方的行政権、立法権の行使に関する諸行為(刑事裁判の実施、教区税・地方税の徴収、エクレオ岩礁をジャージーの範囲内に含めて扱った措置など)に証拠価値を認める。他方フランスは、1886年に主権を主張するまで、有効な権原を保持していたことを示す証拠を提出していない。これらの事実に照らして、対立する主権主張の相対的な力を評価すると、裁判所は、エクレオに対する主権が英国に帰属すると結論する。次に、マンキエに対する両当事国の主張を検討すると、マンキエは17世紀の初めジャージーにおける封土ノワールモンの一部として扱われ、裁判権が行使された記録があり、また、エクレオについて提出されたものと同一の性質の様々な証拠から、英国は19世紀のかなりの期間と20世紀において、マンキエに関して国家的機能を行使してきたと認められる。フランスは、マンキエがフランス領ショーゼー島の属島とされてきたと主張するが、それは確認できない。マンキエの暗礁の外側における浮標の設置を含め、とくに19世紀から20世紀にかけての行為は、この小島群の主権者として行動するフランスの意思の十分な証拠とみなすことはできず、また、そのような行為は国家的機能の発現を含むとみなすことはできない。フランスが主権を主張したのは、1888年になってからである。このような事情から、マンキエに対する主権は英国に帰属すると判定する。
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