韓国側主張の論点整理

韓国側の主張

日本側の反論

 独島は、于山国が新羅に併合された時から、韓国領となった。
 世相実録は「鬱陵島から于山島が見える」とし、八道総図に于山島が描かれている。これは于山島に対する国家の領有意思を示すものである。
 新羅に併合された于山国に独島が含まれていたと出来る史料は無い。
 粛宗実録で、「朝鮮本土から鬱陵島が見える」に訂正されている。
 そもそも、朝鮮前期の于山島はその所在が判然としない。朝鮮後期には、于山島=チェクトであったと認められる。
 安龍福が鳥取藩に赴き、徳川幕府に独島が朝鮮領であることを認めさせた。
 この時、安龍福が幕府に訴状を差し出したことは、後日対馬藩が「貴国人が書を呈じたのは朝意であるか」と質問したことで明らかである。
 徳川幕府が竹島渡海禁止を決定したのは1696年1月である。安龍福はその年5月に来日した。幕府の決定と安龍福は何ら関係がない。
 後日対馬藩の質問に対し、粛宗は「漂風愚民のしたことで、朝廷は関係ない」と回答しているので、粛宗が安龍福の功を認めていたとは考えられない。
 『萬機要覧』等に「鬱陵・于山 皆于山國地 于山則 倭所謂 松島也」とあるから、朝鮮政府が独島に対する領有意思を持っていた事が明らかである。  該当部分は、申景濬による史書改竄の結果である。
 また、他国の地理認識に頼った領有意思はありえない。
 勅令41号によって、独島が韓国領であることを世界中に知らせた。  勅令41号は「石島」と表記されている。
 石島が記載された官撰史料は存在しないので、石島が何を示すのか知ることは出来ない。同時期の民間資料から推察するに、韓国の東限は鬱陵島と認められる。





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